田中宏暁先生との出会いは1994年の運動生理学の授業の時でした。あれから24年経っています。早いものです。1996年に大学院修士課程に入り、糖代謝の研究をしました。2年が早々と終わり、私は地元福山に帰郷。研究をしたいという思いから、2003年に広島大学大学院の博士課程(生物圏科学)に行きました。ところが、仕事と両立できず敢え無く惨敗。5年もかかり、結局筆頭で論文を書けたのは1編だけで広島大学を去ることになりました。それから夢を諦めることができず妄想していたら、田中先生が3年前に声を掛けてくれました。そして2018年3月、田中先生のお陰でスポーツ健康科学博士の学位を取得できました。それから、わずか1ヶ月後2018年4月23日、田中先生は天国へ逝かれました。
(1)田中先生はいつも研究で心ときめいていた 〜本物は楽しむ〜
思えば先生とのお付き合いは修士課程から22年間で、話しをしたのはほぼ研究の話しかありませんでした。当然です。先生と弟子の関係ですから。ここ最近では
●ヨーロッパスポーツ医学会(2016年7月)
「坂本君、(論文)どこまで書けた?」
「このデータ面白いだろ?」
「スロージョギングくらい軽強度でも筋肉が肥大するんだよ。不思議だろ?」
「研究論文を読むこと?それほど重要ではない。もちろん論文を書くときには大事だよ。だけど研究はアイデア!そのアイデアは現場だよ。現場を徹底的に見ること!」
この時は2人でアパートに泊まったので話しまくりました。
【ウィーンのレストランにて夕食】
●博士論文の1回目の口頭試問のあと(2017年6月)
「もっと乳酸濃度の推測値まで出さないと!それがあるとストーリーが面白いだろ!」
●ヨーロッパスポーツ医学会(2017年7月)
「論文ドンドン書いて投稿すれば良いよ。そうしたら査読者がいろいろ教えてくれるよ。」
「おっ!さすが坂本。グルコーストランスポートターね」
「論文書けたかい?(1日目)」「論文どう?(2日目)」「進んでる?(3日目)」そろそろプレッシャー。。
1999年のシアトルでのアメリカスポーツ医学会でも、学会会場で論文を書かないといけない状況でした。あの時は結局書ききれず、先生に迷惑をかけてしまいました。だからこの時は二の舞にならないように何が何でも学会期間中に書こうって思っていました。
【私のポスター発表】
【学会でのパーティ】
●博士論文の一般発表(2018年2月8日)私が発表する1時間前
「心音の測定は1分と4分で。。。(私の発表の話ではないんですか??(笑))」
そして、話が終わったあとに「俺な、実はすい臓ガンなんだよ」と小声で笑いながら肩を叩いて去って行きました。お陰で私の発表原稿の記憶が全部吹っ飛びました。
そして、発表のあとも「坂本君、君の論文の被験者の人達に心音測定できる?」
「君は心音測定器販売の広島支店長だ!(笑)」
すい臓ガンであることなど関係なく、研究のことを楽しそうに話されるのをはっきりと覚えています。
●学位授与式の時も(2018年3月15日)
「卒業しても関係なく論文書けよ!興味深いだろ!」
といった具合でした。
(2)田中先生は人を奮い立たせるプロフェッショナル 〜本物はテンションを上げてくれる〜
修士課程の時代から今まで数多く励ましていただきました。何度も奮い立たされ自分なりに頑張りました。だからいつもワクワクしていました。
私:「自分は頭が悪いんで!」
田中先生:「頭が悪い方が良い。その方が何度も繰り返すので覚えられる」
私:「先生、自分本当に頭悪いんですよ。研究向きではないです」
田中先生:「大丈夫だ!頭は全く関係ない。パッション(情熱)だよ、研究は」
私:「先生、実験結果です」
田中先生:「どうだ?大発見はあったか?心がときめくだろう!お〜、仮説通りじゃないか!」
飲み屋にて
私:「先生、いつもと語り口調が違いますね」
田中先生:「研究は夢なんだよ!」
徹夜でデータ処理して、
私:「先生、回帰直線自体を統計処理できたら良いのですが」
田中先生:「良いじゃないか!統計の勉強をしなさい。もっともっと貪欲に!もっともっと好奇心を持って!」
この足掛け22年間、私は先生には怒られることの方が多かったです。ですが、先生に褒められたのは2018年2月8日博士論文の発表の時だけです。「分かりやすかった。良かったよ!」と先生。「先生に怒られたお陰です」と私。先生は研究だけでなく人を奮い立たせるプロでした。「自分は大したことないので」というと、逆のことをいつも言われます。自分の可能性を信じてくれているのが本当に嬉しかったです。
(3)田中先生の語録がみなさんのお役に立てれば嬉しいです
まだまだあるんですよ。田中先生の語録は。でも書ききれません。
・もっともっと貪欲に!もっともっと好奇心を持って!
・頭の良し悪しは関係ない!研究は情熱
・自分を低く見積もってはいけない。
・夢は大きく!
宏暁先生、現場だけでなく研究の場でも先生の哲学、意志を引き継いでいこうと思います。私は46歳ですが、人生まだまだこれからです。自分を低く見積もらず、情熱と好奇心と貪欲さを持って進んでいこうと思います。多分、宏暁先生は天国でもゆっくりされないのでしょうね。きっと走り続けているのだと思います。だけど、何とか追いつきたいと思います。先生はスロージョギングされているだろうから、全速力なら追いつけそうですね。宏暁先生、ありがとうございました。
【編集後記】
宏暁先生のことを書いていると数多くの思い出が蘇ってきました。辛かったのは2月8日の学位論文発表会の時でした。先生がすい臓がんだということを告げられた時は、頭の中が真っ暗になったのを覚えています。発表前で会場の一番後ろの席で泣き崩れました。覚悟はできていたので、先生が亡くなった今はスロージョギングの普及、そして研究でも発展させないといけないですね。世界的にも広がってきました。スロージョギングは先生の集大成です。それが先生への恩返しです。